「シェフコースにしたけん!!」

 

先日、中学1年生の息子(13)が張り切って私にこう言いました。

すぐには何のことか分かりませんでしたが、どうやら『お弁当の日』の話だったらしいです。(学校からもらってくるプリントはくしゃくしゃにして出し忘れるのが彼のデフォ)

今回の記事では、

・『お弁当の日』に前のめりな息子と、その友達との会話から見えた各家庭における”料理”の位置づけの違い

・粘土の片付けが嫌いで始めたはずのクッキー作りが10年後に思わぬ結果をもたらした話

について書きたいと思います。

「お手伝い」か「遊び」か?キッチンに漂う温度差

『お弁当の日』とは、中学校で給食がなく、全員がお弁当を持参する日のこと。

内容は3つのコースに分かれているそうです。

・お弁当に詰めるおかずから全てを自分で作るシェフコース

・用意されたおかずを自分で弁当箱に詰めるコース

・お弁当を作ってくれた人にお礼を伝えるコース(?)

この3つの中から息子が選んだのは「シェフコース」。

事前に「お弁当の日にどんなお弁当を作るか」という計画書を作る宿題があったようで、その時にシェフコースを選んできたという話でした。

彼が計画していたのは、大好物の「春巻き」。 

前日の晩御飯に春巻きを作り、その残りを翌朝お弁当に入れていくというのが彼の計画です。

ところが前日の夕方、彼は友達を家に呼んで、ゲームを始めたのです。

晩御飯が遅くなりそうだな・・と思った私は、息子の許可を得たうえで、ささみをレンチンして割くところまで下準備をしておくことにしました。

すると、遊びに来ていた息子の友達が、私の手元を見ながら聞いてきました。

「それ、何してるの?」

「明日、中学校はお弁当の日なんだよね?自分で春巻きを作りたいらしいから、その下準備だよ」と答えると、彼はこう言いました。

「つまり、お手伝いだね。僕はお手伝い1回につき、50円もらえるんだよね」

私は思わず「いや、お手伝いじゃないよ。彼がやりたいからやってるんだよ」と苦笑い。

すると、もう1人の友達がポツリと漏らしたのです。

「いいなぁ。僕はいくら払ったって、家で料理はやらせてもらえないよ」

3人とも同じ、中学1年生。

でも、ある友達にとって料理は報酬がもらえる”お手伝い”であり、ある友達にとっては”なかなか触れない場所”として憧れているもの。 

ところが息子にとって料理は、ただの「やりたい遊び」の延長線上にあるのだと気づきました。

なぜ、彼はこうなったのか。 

実はそこには、10年前の私の「ズボラな閃き」が隠されていました。

天才的解決策??「小麦粘土」の正体に気づいた日

実をいうと私は、子どもたちが小さい頃、粘土遊びをさせるのが大嫌いでした。 

理由は単純。 

出来上がった作品を捨てるに捨てられず、溜まっていくのがストレスだったからです。

でもある日、市販の「小麦粘土」の原材料を見て、衝撃が走りました。 

「……これ、クッキー生地と一緒じゃん」

その瞬間、ズボラ主婦の私は閃きました。

小麦粘土の代わりにクッキー生地を渡せばいいんじゃない?

出来上がった作品は食べればいいし、美味しくて子どもも喜ぶ。

最高じゃない?

ビニール袋ひとつで完結する「汚れないクッキー作り」

それからというもの、わが家の「粘土遊び」は「型抜きクッキー」に置き換わりました。 

親の負担を最小限にするために開発したのが、この手法です。

  1. 袋に全投入: すべての材料をビニール袋に入れ、子どもにこねさせる。
  2. 袋越しに伸ばす: 汚れ防止のため、袋の上から麺棒で伸ばす。
  3. ハサミで開放: 袋の脇をキッチンバサミで切り、広げたビニールをそのまま「クッキングシート」代わりにする。

あとは子供が好きなだけ型を抜く。 

焼き上がった「作品」は、その日のうちに家族のお腹に収まります。 

ゴミも出ないし、場所も取らない。そして何より、子供の「やりたい!」が100%満たされる。

この遊びを2~3歳の頃から繰り返した結果、息子は5歳の頃には一人でクッキーを焼けるようになりました。

いつの間にかキッチンは彼にとって「実験室」のような楽しい居場所になっていたのです。

息子がお弁当に詰めた、一生ものの価値

こうして少しずつ料理男子へと成長した息子の春巻きは、翌朝のお弁当箱に誇らしげに収まっていました。

中学生の息子が作ったお弁当の写真

「やらせてもらえない」と嘆いていた友達の家にも、きっとそれぞれの事情があるはずです。(忙しい朝にキッチンを汚されるのは、親にとって迷惑なのは確か!)

でも、私が粘土のゴミを嫌ってクッキーに逃げたズボラな手法は、図らずも彼に「自分の手で何かを生み出す楽しさ」を手渡していたのかもしれないなぁと感じました。

たぶんこれは、特別な教育の成果というより、「自分で触って、失敗して、またやる」時間がたまたま楽しくて、それが積み重なっただけなのだと思います。

中学1年生の”シェフコース”は、そんな「生きる力の種まき」がもたらした、ひそやかな、でも確かなひとつの収穫だったのかもしれません。